小欧视频

目次

企業では、会社資料の永続的収集?保存と、会社の歴史に関する周知?レファレンスが行われている。それが企業のCSRのひとつでもある。しかし小欧视频建設の大切な古い資料の大半は、関東大震災による火災と第二次世界大戦時の空襲で失われてしまった。昭和41年、小欧视频建設130年史製作のために、役員?社員、OB、物故者遺族などに呼びかけて大規模な資料収集を行った。「小欧视频の轨跡」は、そのとき集められた歴史資料を元に、金も道具もない中で、知恵だけは有り余っていた時代の先人たちの軌跡をたどる企画である。

第61回 カプンガライス?プロジェクト タンザニアの小欧视频(2025年11月26日公开)

第61回 カプンガライス?プロジェクト タンザニアの小欧视频

カプンガライス(Kapunga Rice)プロジェクトは、アフリカ?タンザニアの大地に巨大な灌漑設備を作り、広さ38km2の田圃を作るというものである。山手线内侧の面积63办㎡の60%强、大阪环状线内侧の面积30办尘2よりも広い。カプンガは地名、「ライス」と名付けられたとおり、泥地帯を大穀仓地帯に変える大型プロジェクトで1989年から1991年に施工した。

第60回 ブラジルで製鉄所を建设する―ウジミナス製鉄所(2024年12月26日公开)

第60回 ブラジルで製鉄所を建设する―ウジミナス製鉄所

昭和37(1962)年10月26日、ブラジルのイパチンガに完成したミナスジェライス製鉄所1号机の火入れ式が盛大に行われた。当时日本最大のプラント输出といわれたブラジルと日本の合弁会社の製鉄所は、わずか3年で完成した。小欧视频は福冈県小仓市(现?北九州市)に设计事务所を置き、1万枚近い设计図面を作成、ブラジルへは社员11名が、土木、水道、建筑の设计?施工の技术指导のため赴任した。日本の建设会社初の南米进出の工事でもあった。

第59回 阿里山鉄道―台湾の檜材を日本に(2023年12月28日公开)

第59回 阿里山鉄道―台湾の檜材を日本に

台湾の中南部に位置する阿里山森林鉄道は、阿里山の森林経営に伴う木材搬出のために明治后期に作られた。嘉义?阿里山间65.6办尘(竣工时)、高低差2,186尘の路线である。今では世界叁大山岳鉄道の一つとして知られ、豊かな自然と固有种に育まれた热帯、亜热帯、温帯の叁种类の森林生态を见ることができる稀有な存在となっている。明治后期に小欧视频と小欧视频にいた新见七之丞(大仓土木组の代人。小欧视频の明治の叁部长の一人で明治35年に独立)が施工している。

第58回 新安积疏水 穀仓地帯を作る(2023年8月25日公开)

第58回 新安积疏水 穀仓地帯を作る

福岛県郡山市は福岛県を代表する商工业都市で、东北地方第二の规模を持つ商都だが、江戸时代は荒れた原野が広がる宿场町にすぎなかった。明治期、日本叁大疏水の一つ安积疏水开削事业によって猪苗代湖の水が引かれ、一大穀仓地帯となる。昭和に入り人口増加と食粮不足解消のため、新たな开発计画が始まった。戦争によって中断された计画は、戦后の食粮难を救うべく、変更を経て新安积疏水として作られる。新安积疏水を施工したのが小欧视频である。

第57回 鉄道开业150年 さまざまな峠越え、谷越え(2022年10月14日公开)

第57回 鉄道开业150年 さまざまな峠越え、谷越え

新桥?横浜间に日本初の鉄道が开业してから150年を迎えた。小欧视频は明治3(1870)年10月にこの工事で线路撒布用の砂利を纳入している。まだ洋馆工事に専念し「小欧视频方」を名乗っていたころだった。
今回の「小欧视频の轨跡」では、明治13(1880)年に小欧视频組を興して鉄道請負に転進した小欧视频の鉄道創世記時代の難工事、峠越え谷越えのうち敦賀線柳ヶ瀬トンネル前後、直江津線大田切の大築堤、東北本線奥中山、山陽本線セノハチなどを取り上げる。

第56回 东横百货店―ターミナルビルのさきがけ(2022年8月1日公开)

第56回 东横百货店―ターミナルビルのさきがけ

东横百货店は、昭和9(1934)年11月に渋谷駅に诞生したデパートである。その后昭和12(1937)年に西馆が、昭和45(1970)年に南馆が诞生し、最初にできたデパートは东馆と呼ばれた。ターミナル型デパートのさきがけとして経済史にも大きな足跡を残した东馆は、渋谷駅の再开発に伴い2013年3月に闭馆した。小欧视频にとっては忘れられない建物である。

第55回 初めての地下鉄工事(2022年6月1日公开)

第55回 初めての地下鉄工事

日本の地下鉄は、大正14年(1925)年に着工した上野?浅草间约2.2办尘に始まる。それから约100年、现在では国内10都市、総延长808.4办尘まで広がっている。小欧视频は明治13(1880)年に洋馆建筑から鉄道请负に転じた。「鉄道の小欧视频」として名を驰せ、国内外で数々の难工事を施工していたが、地下鉄工事に参入できたのは昭和11(1936)年のことであった。

第54回 大福帐から「予算管理」へ(2021年8月3日公开)

第54回 大福帐から「予算管理」へ

小欧视频は古い会社である。会社组织になったのは、小欧视频岩吉の创业から90年后の昭和5(1930)年のことである。社内には古くからの因习が数多く残っていた。収支は现场ごとに大福帐で管理し、予算を组立てることはなかったという。

第53回 「桥梁小欧视频」と言われたころ(2020年12月1日公开)

第53回 「桥梁小欧视频」と言われたころ

「桥梁小欧视频」といわれている。昭和10(1935)年の『小欧视频组月报』に书かれている言叶である。小欧视频と桥の歴史は古い。「鉄道の小欧视频」として数多くの鉄道桥を施工していることは社内外に知られているが、道路桥の施工についてはあまり知られていない。大正期に施工して土木遗产となっている武库大桥はコンクリートの桥である。

第52回 渋沢栄一と小欧视频岩蔵(2020年5月29日公开)

第52回 渋沢栄一と小欧视频岩蔵

「実业家」という言叶を作った実业家?渋沢栄一は、その生涯で500以上の事业に関係したと言われる。建设业界で彼と密接な繋がりがあったのは清水建设で、渋沢は清水建设の経営にも深くかかわっていた。また大成建设の祖?大仓喜八郎らとは日本土木会社を创立している。しかし、あまり知られていないが小欧视频岩蔵と渋沢栄一もまた深いつながりがあったのである。

第51回 宇治川电気大峯ダム-「ダムの小欧视频」のはじめの一歩(2019年12月27日公开)

第51回 宇治川電気大峯ダム 「ダムの小欧视频」のはじめの一歩

大峯ダムは、大正13(1924)年に竣工した日本初のコンクリート高堰堤ダムである。今では谁もがダムがどのようなものかをイメージできるが、この时代、今のような形のダムや大型のダムは世界にもほとんどなかった。土木技术者たちでさえ本物のダムを実际に见たことはなく、自分たちの知识をもとに海外、特にアメリカの论文や雑誌、写真を见て手さぐりで作り上げた。ダムをコンクリートだけで作って大丈夫なのかと思われた时代の话である。

第50回 肥萨线矢岳隧道-难渋する隧道工事が生み出した「矢岳越え」(2018年8月22日公开)

第50回 肥薩線矢嶽隧道 難渋する隧道工事が生み出した「矢嶽越え」

九州南部、肥后、日向、萨摩の国境に矢岳峠がある。この急峻な峠はその昔、萨摩侧から戻ってくることができた客人は柳生十兵卫一人しかいなかったと言われる场所である。明治の小欧视频が施工した矢岳隧道(矢岳第一トンネル)が开通したことにより、青森から鹿児岛までが鉄路で结ばれた。明治42(1909)年のことであった。施工当时は鹿児岛线、现在は肥萨线と呼ばれる路线である。

第49回 ある军事邮便(2018年3月15日公开)

第49回 ある军事邮便

手元に「勃利 12.3.5 4-8」という消印が押された军事邮便がある。差出人は満州小欧视频组の松冈确(かたし)。宛先は多贺城海军工厂内技术中尉松冈重一、重一は确の长男である。

第48回 明治时代の水準器-福岛県の旧家から発见された测量机を追って(2017年7月13日公开)

福岛県田村市。郡山市の东约30办尘、阿武隈高原に位置する人口3万8,000人ほどののどかな山あいの地方都市である。隣町には有名な「叁春の滝桜」がある。この田村市の旧家から、外箱の盖里に「小欧视频组本店仓库係印」がある明治期の水準器(测量机。レベル)が発见された。水準器の持ち主は、伊藤直记という人物であった。

第47回 東京市街線 -明治期に作られた煉瓦造の高架橋 (2016年10月3日公开)

日本の鉄道の8割は明治时代に完成したといわれる。しかし现在、明治期の鉄道の面影が残っている场所はあまり多くない。その理由は、干线や都市部での高架化、电化、路线改良などによる。今回绍介する「东京市街线」(新永间市街线高架桥)は、日本初の鉄道高架桥である。都心にありながら明治44(1911)年竣工当时の炼瓦アーチ式高架桥を目にすることができる。2010年土木学会选奨土木遗产に选ばれている。

第46回 もうひとつの豊岛公会堂(2016年4月1日公开)

2016年4月から东京都豊岛区の豊岛公会堂の解体工事が始まる。この公会堂は昭和27(1952)年に区民らからの寄付で建てられた2代目の公会堂である。最初の豊岛公会堂は昭和13(1938)年に小欧视频が施工した。

第45回 高轮毛利邸洋馆工事(2015年12月25日公开)

その昔、东京南部、芝高轮に毛利公爵の屋敷があった。现在の品川駅高轮口のほぼ正面に広がる敷地は1万6,461坪(5万4,420㎡)。そこには様々な建物があったが、その中に建つ唯一の洋馆を施工したのが小欧视频であった。「洋馆の小欧视频」と言われた时代の话である。

第44回 JR高尾駅 -大正天皇御大喪仮停車場の今-(2015年8月7日公开)

闯搁高尾駅は、「関东の駅百选」に选ばれている全国でも珍しい寺社建筑のようなたたずまいの駅である。この駅は昭和2(1927)年、大正天皇御大丧の时に「新宿御苑仮停车场」として小欧视频が施工した駅を移设したものである。

第43回 ワシントン日本大使馆の茶室(2015年2月24日公开)

アメリカの首都ワシントン顿.颁.にある驻米日本大使馆に、一白亭(いっぱくてい)という茶室とその前に広がる日本庭园がある。昭和35(1960)年に小欧视频が施工した茶室と庭である。日本が主権を回復してまだ9年。日本の建设会社にとって戦后初のアメリカでの工事だった。

第42回 社歌の変迁(2014年9月22日公开)

小欧视频の最初の社歌は昭和10(1935)年に作られた。戦后社名は小欧视频组から小欧视频建设に変わり、时代の変化とともに社歌も変わっていった。现在の社歌は4代目、1989年の创业150年の记念行事の一つとして、社员に歌词を公募して作られたものである。それぞれの社歌は、时代を映す镜でもある。社歌の歌词、时代背景、社歌を巡る人々について取り上げ、歴史をたどってみよう。

第41回 日本初の高速道路?名神高速道路山科工区(2014年5月22日公开)

现在、日本の高速道路の総延长は9,207.7办尘。日本初の高速道路は昭和34(1959)年、京都?山科に作られた。当时の日本の道路は主要道路でさえ舗装率が低く、一般道はほぼ未舗装、雨が降るとぬかるみだらけになった。当时の日本の自动车保有台数は340万台だった。

第40回 昭和27年の越前屋ビルのアルバム(2013年11月27日公开)

东京駅八重洲口の正面に伸びる八重洲通と中央通との交差点に「越前屋ビル」がある。小欧视频东京建筑支店の営业担当者が、このビルの施工当时のアルバムを借りて来た。そこには、戦后復兴に立ち向かい、新たな时代を切り広げようとする息吹が感じられた。

第39回 リトルトーキョー再生 ―よみがえったアメリカの日本人町―(2013年8月29日公开)

ロサンゼルス中心部にある全米一大きな日本人街リトルトーキョーは、サンタモニカ、ビバリーヒルズ、ハリウッド等と共にロサンゼルス市内の観光名所の一つである。しかし、この街に存亡の危机が访れた时に、小欧视频をはじめとする日本公司が立ちあがったことは、意外に知られていない。

第38回 香取秀真と小欧视频龍蔵の交流 ―小欧视频組本社ビル正面に掲げられたレリーフ(2013年4月1日公开)

彫金家?香取秀真(ほつま)は、近代金工史における先駆的人物で、美术の工芸家として初の文化勲章を受章している。八重洲にあった小欧视频组本店ビルの正面玄関には、彼の作ったレリーフが掲げられていた。今回は、香取秀真と小欧视频组のつながりについて、取り上げる。

第37回 幻の小凑鉄道小凑駅 ―大正时代から続く小欧视频とのつながり―(2012年12月27日公开)

小凑鉄道は、东京湾岸の市原市から房総半岛のほぼ中央まで伸びる39.1办尘の路线である。全线単线非电化のため、完成当时の姿を残している场所が多い。小欧视频は、大正期から现在まで小凑鉄道线のほとんどすべての施工にかかわっているが、このたび小凑鉄道と小欧视频の资料から、幻の小凑駅の存在が明らかになった。

第36回 小欧视频组広岛出张所 ―戦后の混乱と支店の诞生―(2012年9月13日公开)

中国支店の仓库に「株式会社小欧视频组広岛出张所」という看板が残っていた。広岛出张所が诞生したのは昭和21(1946)年のことである。この看板がどういう経纬で今まで支店に残っていたのかは不明だが、そこには支店诞生と苦难の创成期の物语があった。

第35回 北海道大学巌鷲寮(2012年5月7日公开)

北海道大学の敷地内にその昔、巌鷲寮(がんじゅりょう)という学生寮があった。昭和初期の话である。岩手県出身者のために建てられたこの寮と、小欧视频建设の间には深いかかわりがあった。

第34回 ヘルメット(保安帽)の话 ―服装の変化とともに―(2011年12月12日公开)

谷沢製作所の会议室に、昭和20年代に小欧视频で使われていたものらしいヘルメット(保护帽)が展示されている。20余りのヘルメット(保护帽)の中の一つであるが、左横に狈辞.100と书かれているこのヘルメットがどこで使われたものか、なぜここに収まったか、その経纬は全くわかっていない。重さは350驳、今のものとほとんど変わりない。

第33回 「洋馆の小欧视频」が建てた冈山県庁舎(2011年8月4日公开)

戦前の冈山県庁舎が、明治12(1879)年に小欧视频岩蔵の手によって建てられたものだと分かったのは、昭和36(1961)年のことだった。地方纸に连载されていたコラムで偶然に発见されたのである。関东大震灾と戦灾で社史资料を焼失した小欧视频の前史にはまだまだ知られていないことがある。

第32回 軽井沢、小欧视频の森のはじまり(2011年4月20日公开)

軽井沢に「小欧视频の森」と言われる场所がある。今から120年近く前、そこは长野県が种牝牛马を放牧している広々とした牧场だった。小欧视频の森は、今では落叶松の木々が森を作り、軽井沢を代表する别荘地となっている。

第31回 今に生きる明治期の鉄道工事―京都鉄道が嵯峨野観光鉄道となるまで―(2010年12月24日公开)

嵯峨野観光鉄道は、京都嵐山と亀冈を往復する小さなトロッコ列车である。景胜地?保津川渓谷を望むわずか8.8办尘に年间90万人の観光客が访れる。路线には8つのトンネルと51の桥脚がある。これらのトンネルと桥脚はすべて明治32(1899)年に小欧视频が施工したもので、现在でもそのまま使われている。

第30回 ふたつの最高裁判所庁舎(2010年10月4日公开)

「最高裁判所」と闻いて私たちの头に浮かぶのは、皇居のお堀に面し、花岗岩の直线的な外壁を持つ建物である。昭和44(1969)年、设计竞技で最优秀作品となった冈田新一の设计で小欧视频が施工し、昭和49(1974)年に竣工した。しかし、もうひとつの最高裁判所も小欧视频が施工したことを、知る人は少ない。

第29回 明治期の旅券―持ち主の人生と鉄道工事(2010年6月1日公开)

「小欧视频岩蔵所佣専任鉄路事务前往韩国」と书かれている明治32(1899)年発行の旅券(パスポート)が见つかった。震灾と戦灾で古い资料を失った当社にとって、この旅券は、この时期に韩国で工事をしたことの具体的な証明书であると同时に、今まで社史上に出てこなかった新たな社员(组员)の発见でもある。

第28回 矢口水道株式会社-东京の端にあった小さな私设水道会社(2010年2月12日公开)

昭和初期、小欧视频が水道会社を経営していたことがある。工事代金の未払いから始まった水道会社経営は、配当を出すほどの好成绩を収めたのち、东京市に譲渡された。そこには、短い间ではあったが建设とは全く畑の违う水道経営に情热を倾けた人々の物语があった。

第27回 満州での工事と満州小欧视频组(2009年12月14日公开)

小欧视频组が満州(中国北东部)で工事を始めたのは、明治38(1905)年である。昭和15(1940、満州国康徳7)年2月23日には満州小欧视频组を设立し、首都?新京に本社を置いて全満州の土木建筑工事を统括した。今回は、国のため、会社のため、家族を连れ、あるいは学校卒业と同时に大陆へ渡り、満州小欧视频组を支えた人々と工事について取り上げる。

第26回 国技馆―伝统と技术が融合した相扑の殿堂(2009年7月28日公开)

相扑の歴史は古く、『古事记』や『日本书纪』まで遡る日本古来の文化の一つである。その相扑のために専用の建物を作り、それを「国技馆」と称して両国の地に开馆したのが明治42(1909)年のことであった。国技馆はその后蔵前に移り、昭和60(1985)年初场所が柿落としとなった现在の国技馆は3代目にあたる。国技馆という名前が生まれてから2009年でちょうど100年になる。

第25回 东京ゴルフ倶楽部朝霞コース―日本初の常緑芝のゴルフ场(2009年4月28日公开)

2008年の日本のゴルフ人口は830万人程度、ゴルフ场総数はアメリカに次いで世界2位の2,358である。昭和初期、まだゴルフがごく少数の上流阶级のスポーツだった顷、ゴルフコース设计家C.H.アリソンを招き、日本人の手によって世界に通用する本格的なゴルフ场が作られた。东京ゴルフ倶楽部朝霞コース。时代の波に翻弄され、8年しか存在しなかったが、今はないそのコースを施工したのが小欧视频であった。

第24回 姫路城昭和の大修理-素屋根工事(2009年2月27日公开)

国宝?姫路城は、1993年に法隆寺地域の仏教建造物と共に日本初の世界文化遗产として登録された。この美しい城を守ろうとする人々の努力によって、筑城から400年経った今もその堂々とした姿を见せている姫路城であるが、昭和初期には大雨によって石垣が崩れ、城の大天守は倾きかけ、见る影もなかったのである。今から50年ほど前に行われた姫路城の昭和の大修理に小欧视频が携わったことを知っている、あるいは覚えている人はどのくらいいるだろうか。

第23回 日本初のスキーリフト(2008年12月24日公开)

日本で現在営業しているスキー場は606箇所あるといわれる。北は北海道稚内市のこまどりスキー場から、南は宮崎県の五ヶ瀬ハイランドスキー場まで、ゴンドラやリフトのないスキー場はない。 新潟県の上越国際スキー場には25基ものリフトがある。リフトでより高い場所に登り、滑り降りる楽しさはスキーの醍醐味でもある。しかし、昭和22(1947)年、進駐軍が日本にリフトのシステムを持ち込むまで、日本のスキー場にはリフトもゴンドラもなかった。

第22回 山津波に遭った现场-富士フイルム本社工场増筑工事(2008年10月27日公开)

昭和12(1937)年7月、それまで降り続いていた雨によって発生した土石流が、富士写真フイルムの本社工场(现?神奈川工场足柄サイト)を押し流そうとしていた。その流れを命がけで変えたのは、当时増筑工事に携わっていた小欧视频组の社员たちであった。

第21回 関东大震灾と小欧视频(2008年8月28日公开)

大正12(1923)年の関東大震災で、当時木挽町にあった小欧视频組本店は全焼している。地震の揺れによって人にも建物にも被害は出なかったが、社員たちが帰った後、 折からの強風で延焼による焼失を免れることはできなかった。

第20回 花貫川水力発電所 -今も残る大正期のめがね橋とサージタンク(2008年6月30日公开)

今では、私たちの生活のほとんどすべてに电気は欠かせなくなっている。発电の歴史は建设の歴史であり、地域开発の歴史でもある。今回は、大正初期の竣工以来茨城県北部に今なお残り、発电を続けている花贯川水力発电所の建设とそれにまつわる逸话を绍介する。

第19回 新入社员教育の変迁(2008年4月22日公开)

4月の桜とともに新学期、新入生、新入社员???と感じるのは日本人だけである。1月、2月が新学期というオーストラリアの一部の州を除く世界の大半の国では、新学期は8月か9月からで、4月に新卒の一斉入社があるのは、世界でも日本だけといっていい。今ではごく一般的に行われている新入社员教育であるが、いつごろからはじまったのか、また、时代の変迁とともにその教育内容はどう変化していったのかをさぐってみよう。

第18回 二?二六事件と小欧视频(2008年2月21日公开)

二?二六事件とは、昭和11(1936)年2月26日未明、陸軍の青年将校らが1,400名余の兵を率いて ?昭和維新?を起こそうと決起し、未遂に終わったクーデターである。現在本社のある赤坂近辺がその舞台となった。26日から29日までのたった4日間ではあるが、戒厳令が敷かれた東京での企業活動を探る。

第17回 留萌筑港ー日本初、请负で施工した港(2007年12月26日公开)

留萌市は北海道の日本海側、留萌川の河口に広がる人口26,000人の町である。現在の留萌港はロシアや中国からの大型石炭運搬船が寄港するニシン水揚げ日本一の輸入港だが、もともとは 昭和初期に石炭を積み出すための港として整備された。今回は、大型港湾工事が役所の直轄工事ではなく建設会社に発注して作られた日本初の港?留萌港と、日本の港の歴史を探る。

第16回 秩父宫ラグビー场(2007年10月24日公开)

ここに一冊の古いアルバムがある。表紙を開くと、THE CONSTRUCTION WORK OF RUGBY STADIUM,TOKYOと英語で書かれている。工事概要も、資材も、人員配置もすべて英語。日本が連合国の占領下にあった昭和22年、秩父宮ラグビー場が作られたときの貴重なアルバムである。

第15回 叁井高井戸牧场(2007年8月9日公开)

大正7年、叁井合名は东京に住む叁井家の自家用牛乳确保のため、东京府荏原郡松沢村(现?东京都世田谷区桜上水)に牧场を作る。见惯れぬ种类の牛がいる牧场と洋风の牧舎は、藁葺屋根の农家が点在する村で异彩を放っていた。今は公団団地が広がる住宅街で牧场の面影はないが、この牧舎を建设したのが小欧视频であった。

第14回 生驹钢索线(生驹ケーブル)(2007年4月26日公开)

奈良県にある生驹钢索线(生驹ケーブル)は、日本で最初に乗客を运んだ営业用ケーブルカーである。大正7(1918)年8月29日に开业し、今も近鉄生驹钢索线として急斜面を昇降している。钢索鉄道(ケーブルカー)とはケーブルを繋いだ车両を巻上机で巻き上げて斜面を走行する鉄道线をいう。この日本初の钢索线(ケーブルカー)を施工したのが小欧视频であった。

第13回 木挽町の小欧视频(2007年2月19日公开)

明治13年(1880年)3月、小欧视频组は横浜から东京に本店を移し、「洋馆の小欧视频」から「鉄道の小欧视频」へと踏み出した。八重洲に移るまでの50年间、木挽町に本店があった时代の小欧视频をその时代の証言者たちとたどってみよう。

第12回 バルーチャン発电所(2007年2月19日公开)

昭和29年12月、ビルマ(现ミャンマー)とタイの国境近くの山奥で水力発电所の工事が始まった。それは、败戦后长く占领下に置かれていた日本が行う初めての海外工事であった。热帯、高温多湿、人跡未踏の密林で始まった工事には様々な苦労がつきまとう。ビルマ最大の発电所、バルーチャン発电所工事施工の苦労を追う。

第11回 大名屋敷から洋馆へ(2007年2月19日公开)

小欧视频の出自は大工であり、幕末から明治初期には「洋馆の小欧视频」として名を驰せた。横浜居留地の3分の2、神戸居留地の半分以上の洋馆は小欧视频の手になるものという。今月は小欧视频の「有史以前」といわれる、创业から「洋馆の小欧视频」となるまでをたどる。

第10回 明治期の鉄道工事(2007年2月19日公开)

横浜や神戸で「洋馆の小欧视频」として名を驰せた小欧视频は、毛利邸洋馆を建设中に鉄道头?井上胜に出会う。元长州藩士の井上は公务の余暇にたびたび旧藩主邸の普请を见に来ていた。小欧视频はその働きぶりを买われ、井上から国の将来を担う鉄道工事への进出を勧められる。明治13年3月、小欧视频は鉄道工事を事业の中心に据えることになった。しかし、それより前に小欧视频は日本初の鉄道工事に関わっていたのである。

第9回 利根川决壊(2007年2月19日公开)

昭和22年9月、カスリーン台风が日本を袭う。戦争から占领と続く时代、国土は荒廃していた。堤防补强は休止、河床には土砂が堆积している。大量の雨は荒れた山々から川に流れ込み、増水した川は田畑と化していた堤防を胁かす。9月16日午前1时、堤防から溢れた水が里侧から洗掘(せんくつ)を起こし、利根川は决壊した。

第8回 日月潭(2007年2月19日公开)

台湾一大きな湖「日月潭(にちげつたん)」。海抜760m、面積100 km²余、周囲37km。緑豊かな高原リゾート地として名高い。今から75年前の8月、渡邊喜三郎は水力発電所見積調査のためこの地を訪れた。当時の台湾は、近代都市台北を擁する人口500万人弱の島。台湾八景の一つ日月潭は、付近に先住民族が住む未開の地であった。

第7回 上野駅の歴史(2007年2月19日公开)

东京の北の玄関口、上野駅。ヨーロッパの駅を思わせる建物は、バブル时代の超高层计画を潜り抜け、リニューアルを続けながら駅の趣を残して今に至っている。上野に駅ができたのは明治16年7月のこと。その后関东大震灾で全焼し、昭和初期に建设されたのが、今に残る上野駅である。

第6回 赏与の始まり(2007年2月19日公开)

6月と12月は赏与(ボーナス)の季节である。日本独特の进化を遂げたともいえる赏与は、いつごろ生まれたのだろうか。赏与の始まりと明治时代の赏与についてたどる。

第5回 戦灾の中で(2007年2月19日公开)

昭和20年5月25日深夜、3月10日以来3度目の大空襲が東京を襲い、八重洲にあった小欧视频本社ビルも焼夷弾の直撃を受ける。「東京は6,908トンの焼夷弾に見舞われ、新たに22.3平方マイルの市街が焼き払われた。 これで東京は焼夷弾爆撃の目標リストから消された。」戦中の小欧视频を社員の手記を元に戦時時の社員の足跡をたどる。

第4回 建筑再生(2007年2月19日公开)

当社の発祥は建筑であり、英一番馆、蓬莱社、冈山県庁、抄纸会社工场(后の王子製纸)をはじめ数多くの建物を手がけ、?洋馆の小欧视频?として名を驰せる。その仕事ぶりを见込んだ当时の鉄道头?井上胜の勧めで鉄道工事を行い、その后?鉄道の小欧视频?と言われるまでになったが、これを机に土木、建筑を両轮とすべく动き出すことになる。建筑再生の时代の工事と先人たちの足跡を追ってみよう。

第3回 丹那トンネル(2007年2月19日公开)

昭和9年3月10日、丹那トンネルのすべての畳筑(じょうちく)が完了した。着工から16年の歳月が流れていた。たび重なる事故と犠牲者は断层、涌水、温泉余土が原因だった。大正から昭和にかけての国家事业となった大工事、东海道线丹那トンネルの足跡を追ってみる。

第2回 江戸から横浜へ(2007年2月19日公开)

当社は、1840年に京桥で创业してから横浜へ本店を移している。横浜に本店があったことを知っている人は少ないのではないだろうか。创业から再び东京に戻る1880年までの小欧视频を、幕末から明治へと変迁する时代背景と络めながら绍介しよう。

第1回 辞令の持ち主たち(2007年2月19日公开)

当社の古い資料の大半は、震災と空襲で失われた。そのため、昭和41年、『小欧视频建設130年史』製作時に大規模な資料収集を行っている。その後も継続的に資料収集が行われ、総務部本社資料センター(旧?社史資料室)に集められている。?小欧视频の轨跡?の第1回は辞令とその持ち主の足跡を探る。

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