第8回 日月潭
台湾一大きな湖「日月潭(にちげつたん)」。海抜760m、面積100 km²余、周囲37km。緑豊かな高原リゾート地として名高い。今から75年前の8月、渡邊喜三郎は水力発電所見積調査のためこの地を訪れた。当时の台湾は、近代都市台北を擁する人口500万人弱の島。台湾八景の一つ日月潭は、付近に先住民族が住む未開の地であった。
仕事中呼び出され、そのまま台湾へ
资金难で中止していた日月潭水力発电所计画は、昭和5年再始动する。海抜1,300尘の武界(ぶかい)にダムを作り、浊水渓(だくすいけい)の水を日月潭に导いて水位を20尘上げ、延长2,978尘の水圧隧道で有効落差329尘の発电を行う最大出力10万办奥の东洋一の大発电所计画である。
武界现场事务所前にて。前列左から小川良知、花村殿、伊藤与一、2列目左から小林八二郎(ダム)、藤村久四郎(际道)、渡边喜叁郎(所长)、小野威(本店)、吉田増太郎工务主任、竹原庆作工务主任、小池友幸、后列左から吉田源叁郎、内田诚次事务主任、河合友重、五十嵐进、帷子哲郎(3工区际道)、(医者)、阿部清逸郎(3工区际道)、新津利治、(医者)、松尾梅雄。ほとんどが20代、30代
札幌出张所主任(今の所长)の渡边は、昭和恐慌の中、「日月潭工事を台湾の社员とは一切无関係に见积もってぜひとも入手せよ」(*1)との社命を受けて台湾入りした。
渡边は直ちに青森时代の部下?松尾梅雄を呼び寄せる。25歳の松尾は、青森の现场から东京に移り、结婚したばかり。鉄道省御茶ノ水复々线工事现场で作业中に突然呼び出される。本社までは电车で十数分、赤錆だらけの作业服で11时前本社着。すぐに正午の特急に乗せられて、わけもわからぬまま台湾に到着する。
当时の台湾 クリックすると拡大します
现在の日月潭
别名「辞职峠」といわれた武界岭
二人は小欧视频组台湾出张所の一角を借り、昼夜兼行で见积作业を行う。
昭和6年9月入札。7工区のうち小欧视频は最大最难の第1工区(武界ダム、放水路3本、2,000尘隧道、4,000尘隧道上半分)と第3工区(4,000尘隧道下半分、2,000尘隧道)を入手した。
东京から船、汽车、台车(トロッコ)と乗り継ぎ、小欧视频组事务所を置く东埔(とうほ)まで4日。东埔から第1工区の武界までは?辞职峠?と呼ばれる程の急峻。海抜1,360尘の峠越え徒歩4时间を、枝から垂れ下がる様々な毒蛇を杖で払いながら进む。1年后に资材输送用架空索道(ケーブル)が设けられた。
索道に乗る社员
物资も人も坠落した地狱谷に架かる索道。积载量250~500办驳、速度110尘/分、输送能力15迟/丑
出来高皆无、投资100万円
昭和6年10月1日工事开始。现场は、热帯雨林で湿気を孕んだ気流が淀む。マラリア、アミーバ赤痢、ツツガムシなどの被害は想像以上だった。担架で山を降りる患者が列をなし、5箇所の病院は患者で一杯になる。作业员の士気は下がるばかり。渡边の頬はこけ、眼光炯炯として苦悩と焦りが见て取れた。最初の1年で出来高皆无、投资金は100万円(*2)を越した。
通行手形。第1工区は先住民族?高砂族の居住区。居住区内は警察の许可証?通行手形を上部の穴に纽を通して首からぶら下げて通る。木札は縦9肠尘、横6.7肠尘、厚さ0.5肠尘。表に受付日、会社名、责任者印。里に本籍、现住所、役职、氏名、年齢、责任者名
フル稼働の修理工场。小欧视频组が新规购入したモーター65台、ポンブ类25台、ウィンチ46台、凿岩机130台の修理をした。他に型枠などの木材加工木工上も新设
そこで渡邊は、工事を中断して現場の环境整備を決断する。マラリアを媒介する蚊の根絶のため、周りの山を三日三晩かけて燃やした。宿舎付近に草を生やさず、窓は二重網戸。売店や娯楽設備を完備し、日本?朝鮮?台湾料理の店を設け、小欧视频神社を造営した。昭和8年1月には医療班9名の直営病院を新たに2箇所設ける。当時の現場では全て初の試みであった。第1工区本部のある干卓蕃(かんたばん)には、木造平屋建ての社宅を8戸作り、家族を呼び寄せた。作業員宿舎の採光をよくし、金網を張る。病人も減り、作業員は安定定住するようになる。
工事は急に能率が上がりだした。
水路取入れ口の上で
延べ30万人が従事した日月潭発电所工事は、予定工期を3ヵ月残して无事终わった。最终竣工金额366万円余。辞职峠を乗り越え、人々は全国へ散っていった。后に工事誌を缠めた藤村久四郎は「あそこで挫折した者は駄目になった。乗り越えて台湾电力と喧哗してでも工事推进に迈进した者はよくなった」(*3)と述べている。
施工者の视点から作られた初の工事誌「日月潭发电工事施工报告」は、残念ながら今はその写ししか残っていない。
武界ダム コンクリート重力式直线型ダム 堤高48尘、堤长87尘、コンクリート体积12万尘&蝉耻辫3;、河床上40尘までコンクリート构造。その上に高さ幅共10尘のデンターゲート6门を配置
| *1 | 渡边喜叁郎「故花村さんを忆う」花村君追想録刊行会『花村君追想録』(昭和39年)辫7 |
|---|---|
| *2 | 现在の価値への换算は难しいが米価基準で50亿円位 |
| *3 | 土木建設業史特別委員会「台湾の土木事业を語る(主として電源開発について)」p13 |
(2007年2月19日公开)



