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世界の橋なみ 第1回 风雨桥が语る中国トン族の村

东京?日本桥は,川面からの视点でデザインされている。
そんな一説があるほど,水辺から见た风景はかつて,まちの颜であった。
桥はそのシンボルにほかならない。
环境への意識が高まるなか,水をめぐる景観の大切さに私たちはあらためて気づいている。
この连载では,世界各地で桥がつくってきたまちなみ,“桥なみ”をめぐっていきたい。

写真:程陽(永済)橋

程阳(永済)桥(1924年创架,1983年架け替え)。规模,デザインともに风雨桥の白眉。全国重点文物保护単位(国の重要文化财)に指定されている

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民族の夸り

中国西南部の山岳地域に侗(トン)族という少数民族が住む。そこには,かつてわが国にもあったと思えるようなひなびた山村が点在する。そんな集落の近くに「風雨橋」と呼ばれる壮麗な屋根付きの橋が数多く架けられている。これらの橋は集落への玄関口として集落のシンボルであり,民族の夸りともなっている。

风雨桥のなかで,规模,デザインともに,最も优れたものは程阳桥(チェンヤンチャオ)(永済桥〔ヨンジィチャオ〕ともいう)であろう。桥长は约78尘。桥脚と桥台の上に5つの多层屋根の亭(あずまや)があり,その间は1层屋根の桥廊で结ばれている。亭のデザインはそれぞれ异なっていて,中央のものは3层の屋根が重ねられ,その顶部には六角锥形の屋根がそびえている。

侗族の居住地は広西チワン族自治区の北部から贵州省,湖南省にまたがる広い地域に及ぶ。ここで绍介する桥は,広西チワン族自治区の叁江侗族自治県のものに限られるが,そこだけでも100桥を超える风雨桥があるとされる。その主要なものは,主に3つの谷に沿って分布する集落周辺に架けられている。

信仰の対象

风雨桥には侗族の人々の信仰心が息づいている。桥の上に道教の神や祖先神などが祀られているところが多い。そして风雨桥は祖先の霊魂が通るところと考えられており,祖先神が桥を通ってやってきて子孙に転生(てんしょう)する,集落の子孙繁栄を约束する场であるとされる。

その建设に何らかのかたちで参加することが,现世および来世の利益(りやく)を授かるものとされ,桥を架け替えるときにはこぞってお金,材料,労力を提供して奉仕をする。

风雨桥の位置は风水に则って选ばれているという。川に沿って流れ去る财(たから)(気,风水)をせきとめ,集落内に残す役割をもつとされる。そのため风雨桥はほとんどが集落より下流侧に架けられている。

写真:桥上にはいくつかの神像が祀られている(冠洞桥)

桥上にはいくつかの神像が祀られている(冠洞桥)

风雨桥の形

大きな风雨桥はどれもよく似た构造をもつ。スパンは15~25尘ほどで,重い屋形を支える主桁には径30~40肠尘ほどの丸太が2段ほど配置され,それを桥脚,桥台上から张り出された2~3段の部材が下から支えている。大きな亭はその支え材を安定させる重しの役割も果たしているように见える。

桥脚,桥台は,切石积で丁寧に仕上げられており,川中の桥脚は上下流を尖らせた扁平な六角形断面になっている。

内侧の幅は4尘ほど,亭部では両侧へ1~2尘ほど広くなっており,神を祀る祭坛が设えられているところもある。たいていの桥では高い高栏に沿って长いベンチがつくり付けられている。

亭や廊部の屋根は贯と短い柱をかみ合わせて次々と组み上げられており,斜め材は见られない。天井はなく,瓦が垂木の上に直接乗せられている様子が见える。

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写真:普済桥(清末创架,1940年再建)

普済桥(清末创架,1940年再建)

写真:桥上は近隣の人々の格好の憩いの场になっている(普済桥)

桥上は近隣の人々の格好の憩いの场になっている(普済桥)

写真:亭部の屋根組(普済橋)

亭部の屋根组。天井はなく,瓦の里侧が直接见えている(普済桥)

写真:巴団橋(1910年創架)

巴団桥(1910年创架)。桥を龙の姿に模し,その神力を集落に呼び込むという。桥内は人と家畜の渡る道が分けられている

写真:合龍橋(1920年創架,1940年再建)

合龙桥(1920年创架,1940年再建)。子供たちの游び场にもなっている

写真:鞏福橋(清末創架,1988年架け替え)

巩福桥(清末创架,1988年架け替え)。内部に鲜やかな絵が描かれている

写真:赐福桥(1861年创架,1951年再建)

赐福桥(1861年创架,1951年再建)

花桥

風雨橋は,屋根があることで木材の寿命が長くなり,渡る人々を風雨から守ってくれるという効用は当然であるが,村人に交流の場を提供している。納涼,休息や遊びの場となっており,老若男女が集い,昔を語り,今を論じる。「花桥」とも呼ばれるが,若い男女の語らいの場という粋な意味も含まれている。そして村への賓客があるときは,盛装した女性が歓迎の歌を歌い,酒をふるまって出迎える。

侗族の村には鼓楼と呼ばれる多层の塔が建てられている。屋根のデザインは方形,六角锥型や八角锥型などが多彩に组み合わされている。楼の上には大きな太鼓が置かれ,异常事态を村人に知らせる望楼の役割をもっていた。

その前には石敷きの広场があり,そこでは冠婚葬祭に村人が集い,盛大な宴が催される。傍らに演剧の舞台のようなつくりの建物もあり,村は豊かな共用空间をもっている。风雨桥もまた,侗族の人々にとっての共用空间の一つである。

写真:培风桥(1875年创架,再建年は不明)

培风桥(1875年创架,再建年は不明)

写真:八江橋(1979年創架,1996年移転架け替え)

八江桥(1979年创架,1996年移転架け替え)。鼓楼を思わせる亭をもつ

写真:亮寨桥(1910年代创架,1937年以降再建)

亮寨桥(1910年代创架,1937年以降再建)

写真:独峒郷平流村の鼓楼

独峒郷平流村の鼓楼

地図

[参考文献]松村博:中国?侗(トン)族の风雨桥について,
土木史研究講演集 Vol.30,土木学会,2010年6月

松村 博 Hiroshi Matsumura
元大阪市都市工学情报センター理事长。
1944年生まれ。京都大学大学院修了(土木工学専攻)。
大阪市役所勤務,橋梁課での設計担当に神崎橋,川崎橋,此花大橋など。 著書に『橋梁景観の演出』『日本百名橋』『論考 江戸の橋』(小欧视频出版会),『京の橋ものがたり』『大阪の橋』(松籟社),『大井川に橋がなかった理由』(創元社)など。

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