小欧视频


ホーム > 碍础闯滨惭础ダイジェスト > March 2017:特集「よみがえる国宝 瑞巌寺」

碍础闯滨惭础ダイジェスト

よみがえる国宝 瑞巌寺

日本三景のひとつである宮城県松島の優美な諸島を眼下に望む「国宝 瑞巌寺」。
东北地方における桃山文化の代表建筑として名高いこの寺院は,
1609年の建立以降,长年の腐朽や沉下,近年の度重なる地震により,
建物が着しく伤んできたため,2008年に「平成の大修理」と铭を打ち,保存?修理事业を开始した。
约9年にわたる工事は最终段阶を迎えている。
本号では,これまでの记録から工事の轨跡を追う。

写真:瑞巌寺

改ページ

沿革

瑞巌寺は正式名称を「松岛青龙山瑞巌円福禅寺」といい,临済宗妙心寺派の禅寺である。

その歴史は古く,平安时代の初め天长5(828)年,比叡山延暦寺第叁代座主慈覚大师円仁により开创され,延暦寺と比肩すべき意を持って天台宗延福寺と命名された寺がその前身と伝えられる。奥州藤原氏,鎌仓幕府の庇护を受けた延福寺は,鎌仓时代中期に约400年の歴史をもって灭した。その后,法身性西和尚を开山とし,円福寺と改称,临済宗建长寺派の禅寺に改めた。

円福寺は,その势力を岩手県南部にまで伸张していき,寺格も五山十刹に次ぐ诸山から,やがて十刹に位置づけられ発展した。しかし,戦国时代を経て次第に衰退し,その末期に妙心寺派に属した。

図版:地図

庆长5(1600)年の関ヶ原の戦い后,仙台を治府に定めた伊达政宗は,仙台城の造営と併せて神社仏阁の造営も行い,塩灶神社,仙台大崎八幡宫,陆奥国分寺薬师堂を相次いで完成させた。

なかでも庆长9(1604)年に始まった瑞巌寺の造営は心血を注いだ事业だった。桧,杉,欅などの用材を纪州(和歌山県)熊野山中から伐り出し,海上を筏に组んで运び,大工は京都?根来の名工约130名を集め,5年の歳月をかけ,庆长14(1609)年に完成させた。その豪华な姿は松尾芭蕉の「おくのほそ道」でも述べられている。伊达家の厚い庇护を受けた瑞巌寺は110余りの末寺を有し,领内随一の规模,格式を夸った。

现存する本堂(玄関附属),库裡及び廊下は国宝に,御成门,中门,さらには障壁画が国の重要文化财に指定されている。

年表

828
1259顷
1578顷
1600
1604
1608
1609
1620
1689
1903
1953
1959
1980
1985

天长5
正元元顷
天正6顷
庆长5
庆长9
庆长13
庆长14
元和6
元禄2
明治36
昭和28
昭和34
昭和55
昭和60

慈覚大师円仁,天台宗延福寺を开创
法身,临済宗円福寺を开创
建长寺派から妙心寺派に転派する
関ヶ原の戦い。伊达政宗が仙台を治府と定め,城を造り始める
8月15日円福寺復兴の縄张り
瑞巌寺の新名称が公表される
瑞巌寺本堂完成
障壁画制作着工
松尾芭蕉,瑞巌寺に诣でる
明治の大修理完了
本堂(方丈),国宝指定
库裡国宝指定
本堂障壁画,国重要文化财指定
本堂障壁画の保存修理?復元模写事业开始

ホーム > 碍础闯滨惭础ダイジェスト > March 2017:特集「よみがえる国宝 瑞巌寺」

ページのトップへ戻る

ページの先頭へ