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世界の橋なみ 第6回 震灾復兴事业の遗产――隅田川の桥

写真:上:永代橋、下:清洲橋

〈上〉永代桥(1926年):バランスドアーチが雄大な风景をつくる、〈下〉清洲桥(1928年):永代桥とは対照的に,繊细な印象の吊桥が採用された

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永代桥と清洲桥

东京を近代都市に生まれ変わらせたのは,1923年9月の関东大震灾の直后に行われた震灾復兴事业である。隅田川の桥のみを见ても,当时の东京市内の9桥が復兴事业によって新しい桥になった。そのうち8桥が今も健在で,东京の中心部の交通を支えているのは贵重である。

震災復興橋梁のなかで,もっとも重視されたのは永代桥と清洲桥であった。永代橋には雄大さを強調したアーチ橋が,清洲橋には対照的に繊細な印象の吊橋が採用された。

このように意図的に异なった形式を対置させた理由として,両桥の设计计算书に「永代桥の地点は,荒川の河口で,视界が大きく开けている。そこには雄大で,かなり男性的なバランスドアーチ桥が望ましい。一方,落ち着いた风景のなかにある清洲桥の地点には,アーチ桥と対照的な优しさを感じさせる吊桥を配した」という趣旨の説明がある1)

清洲桥には,ドイツ?ケルンのライン川に架けられた自碇式吊桥が世界最先端の理想の形式であるとして,その缩小形が适用された。

震灾復兴事业で架けられた桥は,当时の最先端の技术への挑戦によって,近代的な都市景観の创造を実现した记念碑である。

関东大震灾による被灾と復兴桥梁事业

大震灾当时,千住大桥から下流の隅田川には7桥が架けられており,うち5桥が鉄桥であった。そのなかで,1912年に完成した新大桥だけは床が鉄筋コンクリートでつくられていたので类焼を免れたが,ほかの桥では床の全部または一部が木造であったため,焼け落ちて,人々の避难を妨げた。

関东大震灾の翌日に新内阁が成立。その内务大臣に就任した后藤新平の下で,都市计画の骨子を盛り込んだ復兴计画案がつくられる。原案は大幅な修正を余仪なくされたが,区画整理やインフラ整备など,かつてない大规模な事业が短期间で进められた。

隅田川の桥では9桥が架替え,新设の対象とされた。相生桥,永代桥,清洲桥,蔵前桥,驹形桥,言问桥のいわゆる隅田川六大桥が国の机関である復兴局の担当,両国桥,厩桥,吾妻桥の3桥を东京市が担当することになった。

復兴局の桥梁事业を主导したのは桥梁课长の田中豊であったが,桥の形式の选定には,上司であった土木部长の太田圆叁の意向がかなり反映されたようである1,2)

永代桥と清洲桥は,地盤が低いという架橋地点の条件から下路形式とされ,中央スパンを90mほどにするためにアーチと吊橋が検討対象とされた。そして永代橋にはアーチ,桁ともにI型断面をもつ鈑桁(ばんげた:ソリッドリブ)形式のバランスドアーチが選ばれ,清洲橋の吊橋の3径間連続となる補剛桁も鈑桁形式になった。また永代橋のアーチを結ぶ部材と清洲橋のメインケーブルには,アメリカで開発された高張力鋼のアイバー(両端にピンで連結するための孔をもつ細長い鋼材)が使われた。

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写真:相生橋

相生桥(1999年):震灾復兴桥梁では唯一架け替えられた

写真:蔵前橋

蔵前桥(1927年):3つの上路アーチが构造的にも景観的にもバランスよく配置されている

写真:駒形橋

驹形桥(1927年):中央に下路アーチ,両侧に上路アーチが配されているが,半円形の大きな桥脚によって景観上のバランスがとられている

写真:言問橋

言问桥(1928年):连続性を强调した鈑桁。戦前では最大のスパンをもつ桁桥

多様な形式の採用

蔵前桥,驹形桥,言问桥にはそれぞれ异なった形式が适用された。蔵前桥は3径间の上路式2ヒンジアーチ。驹形桥は同じ构造形式であるが,中央径间が下路式になっている。そして言问桥にはゲルバー式(カンチレバー)の钢鈑桁が适用された。これらの形式が决められた理由として,桥は构造的にも眺望の点からも上路式が望ましく,蔵前桥と言问桥では取付道路を高くすることができたので上路式を採用したが,驹形桥では高い盛土が难しかったため,侧径间のアーチを短くかつ扁平にして,中央径间を下路式にしたと説明されている。

復兴局は,1930年3月に廃止されるまでの间に,六大桥のほかにも100桥余の桥の建设を行っており,日本の桥梁技术の水準を飞跃的に高めることに贡献した。

东京市が架けた3桥の上部工の形式は,吾妻桥が上路式3径间2ヒンジアーチ,厩桥が下路式3径间タイドアーチ(両端が细い部材で结ばれたアーチ),両国桥が上路式3径间ゲルバー式鈑桁で,主构造が鈑桁形式であることは六大桥と共通している。

当时の东京市の范囲外では东京府の事业によって,日光街道の千住大桥が1927年に钢アーチ桥となり,明治通りの白鬚桥のバランスドアーチ桥も1931年に完成した。これら2桥に适用されたアーチはトラス形状になっており,復兴局,东京市の桥とは设计の考え方が异なっている。

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写真:厩橋

厩桥(1929年):3つの下路アーチを并べた,个性的なデザイン

写真:両国橋

両国桥(1932年):シャープな印象の桁桥。近年,バルコニーが付けられた

写真:吾妻橋

吾妻桥(1931年):蔵前桥とよく似た3径间の上路アーチ

写真:千住大橋上流側

千住大桥上流侧(1927年):アーチがトラス形状になっているブレースドリブアーチが採用されている

写真:白鬚橋

白鬚桥(1931年):永代桥とは违った印象のバランスドアーチ。千住大桥とともに东京府の施工

文化财としての復兴桥梁

隅田川は岩渊水门から下流を指すが,そこには现在,25本の一般の道路桥と7本の鉄道桥が架けられ,さらに高速道路が3本,ライフラインを渡す専用桥が3本ある。

これらの桥の半数近くは関东大震灾以降,昭和初期に架けられたもので,技术的にも文化的にも贵重な财产である。このうち清洲桥,永代桥,胜鬨桥が2007年に重要文化财に指定された。ほかの桥も贵重な桥梁群としての価値が认められ,长く保存活用されることが望まれる。

写真:東武鉄道隅田川橋梁

东武鉄道隅田川桥梁(1931年):中路式のトラス桥。上弦材が电车の窓より下になるよう工夫されている

写真:総武線隅田川橋梁

総武线隅田川桥梁(1932年):连続した鈑桁を强调したデザイン。中央の桁は细いアーチで补强されている

写真:勝鬨橋

胜鬨桥(1940年):中央が跳上式の可动桥。両侧のソリッドリブアーチが堂々とした景観をつくっている

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地図

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[参考文献]
1)伊东孝『东京の桥』小欧视频出版会,1986年
2)中井祐『近代日本の桥梁デザイン思想』东京大学出版会,2005年

松村 博 Hiroshi Matsumura
元大阪市都市工学情报センター理事长。1944年生まれ。京都大学大学院修了(土木工学専攻)。
大阪市役所勤务,桥梁课での设计担当に神崎桥,川崎桥,此花大桥など。
著書に『日本百名橋』『論考 江戸の橋』(小欧视频出版会),『京の橋ものがたり』『大阪の橋』(松籟社)など。

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