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世界の橋なみ 第7回 アムステルダム――船とトラムの両立

写真:マヘレ橋

マヘレ桥(1871年完成,1934年改筑):マヘレとは,「痩せた」「细い」「狭い」などを意味する。9径间の中央が両开きの跳ね桥になっており,アムステルダムを代表する风景をつくっている

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跳ね桥

白い跳ね桥のマヘレ橋はアムステルダムを象徴する橋である。太い柱で支えられた天秤棒が一方では跳ね上げ桁を吊り,他方に載せられた重りによって平衡が保たれている。

現在のような姿になったのは1871年のこととされるが,その後30年ほどの周期で大きな補修が施されながら古い時代の木造跳ね桥の姿が今日まで伝えられてきた。

船が物流のおもな手段であった時代には,舟運を妨げない跳ね桥が多く架けられた。しかし都市化の進展とともにそのほとんどが姿を消し,天秤棒式の跳ね桥は鋼製のものを含めて十数橋が残っているに過ぎない。

しかし,现在もいろいろな形の跳开桥がその役割を果たしており,アムステル川のマヘレ桥からベルラーヘ桥までは,どれも跳开式の可动桥になっていて,マストの高い船もさかのぼることができる。下流の运河ではニーウェへーレン运河の桥がすべて跳开桥になっており,エイ湾からアムステル川へさかのぼる船のルートが确保されている。

町の成立ちと桥の役割

アムステルダムは北のヴェネツィアといわれるように,运河が発达した町であるが,ヴェネツィアとは违って広い道路や近代的な都市机能が集积しており,その形态は大きく异なっている。

町の形成は14世纪顷,アムステル川の下流部を轴に始まり,町を守るための城壁が筑かれるとともに,それに沿って运河が开削された。15世纪になると,新しい运河,シンヘルとヘルデルセカーデに沿って城壁がつくられ,町が拡大した。そして17世纪にはシンヘル运河を外堀にして,火器による防御のために多くの突出部をもつ城壁が筑かれた。现在もシンヘル运河の沿岸に凹凸があるのは,その名残である。

旧市街には中央駅あたりを中心にして扇状に5,6本の运河が巡り,それらをいくつかの放射状の运河が连络している。各运河の両岸には细い道路が张り付いているが,干线道路はほぼ放射状に配置されており,これらには几路线ものトラム轨道が敷设されている。

アムステルダムは运河の町であるが,桥なくしては陆上交通の机能は成り立たない。桥は都市としての歴史の积み重ねのなかで,时代に応じてその构造や姿を変化させてきた。

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写真:スタールメーステルス橋

スタールメーステルス橋(1886年完成):片開きの跳ね桥。レンブラントの傑作『織物商組合の見本調査官たち』から名前が付けられた

写真:ドリーハーリンヘン橋

ドリーハーリンヘン橋(1983年改築):幅2mほどの車が通れない跳ね桥。橋の名前は「3匹のニシン」を意味するが,由来は不明

写真:オラニェ橋

オラニェ橋(1898年完成):鉄製の跳ね桥

写真:ホーヘ橋

ホーヘ桥(1884年完成):中央の1径间は両开きの跳开桥,両侧は4径间の鉄製アーチ桥。侧面に市の纹章が饰られ,高栏,照明柱が石造りの重厚なデザインになっている

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レンガと石のアーチ桥

17世纪には都市発展のなかで,简易な木桥に替わって多くのアーチ桥が建设されるようになった。その多くがレンガ造りで,隅角部に砂岩を使ったアーチがはめ込まれ,メリハリのきいた美しいアーチ桥が运河の水面にその姿を映すようになり,その风景が地域のステイタスシンボルともなった。

レヒュリールス运河が扇形の各运河と交差する所には,それぞれ2ないし3基のアーチ桥が架けられており,最も北のヘーレン运河との交差部からはそれらのアーチ桥を见通すことができるため,観光スポットになっている。

また,1648年に架けられたシンヘルのトーレン桥は,约40尘の幅をもつ広场のような桥で,桥上の一部ではカフェが开かれ,若者で賑わっている。

桁桥への転换

19世纪になると,広い道路や大量输送机関が必要になり,桥の机能も大きな影响を受けることになった。トラムの鉄轨道は急な勾配には适していないため,桥面を切り下げて,より平面的な构造の桥が求められ,主要な道路のアーチ桥は錬鉄や钢を用いた扁平な桁桥に架け替えられていった。

こうして市の中心部にあった伝统的な木桥やアーチ桥は,1800年顷には约100桥ずつあったものが,第二次世界大戦后には木桥が3桥,アーチ桥が15桥に减ってしまった。

写真:レヒュリールス運河とプリンセン運河の合流部

レヒュリールス运河とプリンセン运河の合流部:このあたりからは多くのアーチ桥が见通せる

写真:ムント橋

ムント桥(1876年一部完成):市域の桥には一连番号が打たれているが,その1番の桥。ムント広场をつくっており,长さは10尘に満たないが,幅は70尘もある

写真:ワールセイラント橋

ワールセイラント桥(1913年完成):アムステルダム派のヨハン?ファン?デル?メイの设计

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写真:トーレン橋

トーレン桥(1648年完成):4连のアーチのうち,东端のアーチの下は牢狱として使われたとされる。幅约40尘の桥面は桥上カフェになっている

新しいデザイン思潮と景観の復元

都市の近代化のなかで,20世纪の前半にはアムステルダム派の思潮が都市计画や建筑デザインをリードした。桥のデザインもこの影响を受けた设计者が担うことになった。桥本体はできるだけ构造高を低くした床版桥が中心であるが,高栏や照明灯などは鋳鉄製の装饰性の高いものが採用され,石の彫刻で饰られることも多く,それぞれの桥の独自性が强调されている。

一方,第二次世界大戦後は地域の都市景観における伝統的なアーチ橋の役割が見直され,10橋を超える桁橋がレンガと石のアーチ桥に架け替えられた。同様にいくつかの木造跳ね桥の復元も試みられている。

アムステルダムの桥は水运と陆上交通の両立や近代都市としての交通需要に合わせてつくり替えられてきた。このため创架当初の姿をとどめる桥はほとんど见ることができない。しかし,なお古い时代の容貌をもった桥が周辺の街并みに溶け込んでいる风景は,市民の要望に沿った市担当者の努力の赐といってもよい。

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地図

松村 博 Hiroshi Matsumura
元大阪市都市工学情报センター理事长。1944年生まれ。京都大学大学院修了(土木工学専攻)。
大阪市役所勤务,桥梁课での设计担当に神崎桥,川崎桥,此花大桥など。
著書に『日本百名橋』『論考 江戸の橋』(小欧视频出版会),『京の橋ものがたり』『大阪の橋』(松籟社)など。

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