
ライオン桥(1826年完成):银行桥とともに设计者はトレッター技师,桥詰の像はいずれも彫刻家ソコロフの作品である。20世纪の半ばに全面的に补修された
白いライオンの桥
「ライオン桥」と呼ばれるその桥は,サンクトペテルブルクの旧市街を横切るグリボエドフ运河に架かっている。幅2尘に満たない,板张りの歩道桥である。吊材のチェーンの端を4隅のライオンががっしりと口にくわえ,像が台座とともにアンカーの役割を果たすというユニークなデザインになっている。この桥にことさら魅力を感じるのは,ライオン像が构造的役割を果たしているからである。
立派なライオン像が桥詰に置かれている桥はいくつかあるが,それらは饰りとして置かれたものである。この桥ではライオンが后ろ向きで,鑑赏には好ましくない配置ではあるが,桥の构造部材となっていることを高く评価したい。
同じ构造形式で,翼のある伝説上の动物,グリフィン(グリュプス)像をもつ「银行桥」と呼ばれる桥もある。

银行桥(1826年完成):近傍に国立银行があったため桥の名前が生まれた

エジプト桥(1956年架替え):ライオン桥と同时期に吊桥として架けられたが,1905年に军队が渡っていた时に激しい揺れが生じて崩壊した。后に幅の広い钢アーチ桥に架け替えられたが,当初のオベリスク风の塔と桥詰に置かれたスフィンクスの像が復元されている
浮桥と木桥
サンクトペテルブルクは今では人口460万人をもつロシア第2の大都市になっているが,ロシア帝国がその西端にヨーロッパへの玄関口を确保するために,ネヴァ川河口の沼沢地を开拓して新しくつくった町である。
この町の建设は1703年にロマノフ王朝のピョートル1世によってまずペテロパヴロフスク要塞の基础工事から始められた。そして最初に架けられた桥は,この要塞からペテログラード侧に架けられた浮桥であった。
1712年に迁都されると町の建设が加速される。まず海军省から西へ向かって,现在もメインストリートとなっているネフスキー大通りがつくられた。当时はフォンタンカ川が町の境界で,军事拠点があった。ここに军队によって木桥のアニチコフ桥が架けられた。
また町の拡张によってネヴァ川にも桥が必要になり,1727年に木製浮桥が架けられたが,毎夏架け直されることになっていた。
运河が整えられ,そこには18世纪半ばでおよそ40の木桥が架けられていたが,约半数が跳ね上げ式の可动桥であったとされている。

石桥と鉄桥へ
市内の桥が耐久性の高い桥になるのは18世纪后半以降のことである。ネヴァ川に沿って护岸や道路が整备され,1760年代后半には夏の庭园を挟んで2つの石桥が架けられた。现在も健全で,洗濯桥,上白鸟桥と呼ばれている。いずれも简素で控えめなデザインである。
1784年から1787年にかけてフォンタンカ川に7つの石桥が架けられた。いずれも3径间で,船を通すために中央径间が塔に沿って引き上げられるようになっていた。
アニチコフ桥は,市民の爱着が深い桥である。ネフスキー大通りの拡幅にともなって1842年に全面的に架け替えられた。3径间の石造アーチで,桥の4隅には暴れ马を调教する男の力强い彫刻が饰られている。桥は1908年に全面改修されたが,そのデザインは踏袭された。そして1941~44年にかけてドイツ军の激しい砲火にさらされるなか,彫刻は市民が近くの庭园に埋めて守ったといわれている。

ブルー桥(1843年完成):本体は鋳鉄アーチ,かつての木桥が青色に涂られていたためその名で呼ばれた。イサク圣堂前の広场の一部になっており,幅が97尘もある市内で最も広い桥

洗濯桥(1760年代完成):市域で最も古い石桥のひとつ。ロシア风ネオクラシックのデザインをもつ

ロモノソフ桥(1780年代完成,1910年架替え):フォンタンカ川の石桥。中央の桁が塔に沿って引き上げられるようになっていた

アニチコフ桥(1842年完成,1908年改修):1715年,アニチコフ中佐指挥下の军队によって初めて木桥が架けられた。最初の架设者の名前が桥名となって残った
王朝风のデザイン
冬宫(现エルミタージュ美术馆)から夏の庭园周辺にはサンクトペテルブルクらしいデザインをもった桥が集まっている。
1829年に完成した第一エンジニア桥はその代表的な桥といえる。主构造は穴あきの鋳鉄アーチ,精巧な装饰をもち,高栏の侧面には楯と剣をモチーフにし,中心には神话のメデューサの颜が浮彫りされている。
この桥に接する圣パンテレイモン桥は,1908年に架け替えられたもので,同様のモチーフの浮彫りが淡い緑の上に金色で浮かび上がるように彩色され,ひと际目を引くデザインである。
血の上の救世主教会と呼ばれるロシア独特のデザインの教会に通じる小コニュシェニー桥は,1830年に完成した。モイカ川を1径间の鋳鉄アーチで渡っているが,同様の华やかな装饰が施されている。

小コニュシェニー桥(1830年完成):血の上の救世主教会を背景にしたこの桥の上は,结婚记念写真の撮影スポットになっている

第一エンジニア桥(1829年完成):桥の名前は,近接する工兵队の技术専门学校として使われたエンジニア宫殿に由来する

第一エンジニア桥のたもと。小鸟の台座の上にコインが乗ると幸运が访れるという
ネヴァ川の桥
ネヴァ川に本格的な桥が架けられたのは1850年のことである。现在のシュミット中尉桥の所に鋳鉄アーチを并べた桥が完成したが,后に架け替えられた。
三位一体橋と邦訳されるトロイツキー橋が完成したのは1903年である。橋の主要部は6径間の鋼アーチから成り,南側の1径間が跳ね上げ式になっている。ちなみにネヴァ川の桥はすべて可動橋になっていて,夜には跳ね上げられて陸上交通は遮断される。
1892年にこの桥の设计コンペがあって,フランスのバティニョール社の2人の技师の设计提案が採用された。桥が完成した年はサンクトペテルブルク建设着手から200年目の年にあたり,完成式典にはフランス大统领も出席したようだ。しかしこの2年后には,日露戦争败北,血の日曜日事件が起こるなどロシアは激动の时代に入っていくことになる。

トロイツキー橋の橋詰に“Pont Eiffel”というレストランの看板があった。地元ではエッフェル橋と呼ばれているのだろうか

トロイツキー桥(1903年完成):エッフェルの设计とした本もあるが,実际の设计はバティニョール社の技师による。コンペにはエッフェルも参加したようだ

松村 博 Hiroshi Matsumura
元大阪市都市工学情報センター理事長。1944年生まれ。京都大学大学院修了(土木工学専攻)。大阪市役所勤務,橋梁課での設計担当に神崎橋,川崎橋,此花大橋など。著書に『日本百名橋』『論考 江戸の橋』(小欧视频出版会),『京の橋ものがたり』『大阪の橋』(松籟社)など。


