本誌巻末に掲载中の「小欧视频の见える风景」へ関东支店から多くの写真とメッセージが寄せられた。
今月は4つの投稿を纺ぎ,「小欧视频の见える风景(特别编)」として,
日本有数の観光地である日光?鬼怒川エリアの小旅行へと诱う。
旅のプロローグ
东武伊势崎线(爱称:东武スカイツリーライン)の起点となる浅草駅から13駅目の竹ノ塚駅を中心とした约1.7办尘の区间で,连続立体交差事业が进められています。当社もその一翼を担い,竹ノ塚駅部付近の延长358mの高架化工事を昼夜で施工しています。
现在は,下り急行线が高架へ移行済みで,今后,上り急行线,上り?下り缓行线の3线を高架化し,2022年3月末に2ヵ所の「开かずの踏切」が解消される予定です。日光?鬼怒川へと向かう特急の车窓からも社旗が见えますので,安全で快适なまちづくりに向けて日々奋闘する私たちのことを思い出していただけると嬉しいです。
当社は,とうきょうスカイツリー駅付近でも高架化工事を担当しており,过去にはターミナル駅である北千住駅改良工事をはじめ,草加や越谷など各所で高架化工事を担当しました。
(管理部現業グループ(東部地区) 今井 博)

高架化された下り急行线を走る「特急スペーシア」と社旗

鬼怒川桥梁と厂尝大树
厂尝大树をご存知でしょうか。土日?祝日を中心に,颁11形蒸気机関车が东武鬼怒川线の下今市駅-鬼怒川温泉駅间12.4办尘を约35分で駆け抜けます。昨年,东武鉄道が51年ぶりの厂尝復活运転プロジェクトとして诞生させ,レトロでノスタルジックな雰囲気が観光客に人気です。
当社は1972(昭和47)年に,この路线で鬼怒川桥梁の架替え工事を担っています。架替え前の桥梁は,明治期にドイツから输入され,他の鉄道からの転用だったため,老朽化が激しく架替えが行われました。特殊な工法が採用されましたが,関係者の绵密な连携?协力により,无事故で工期内に无事工事を终えたと闻いています。
桥梁を渡る厂尝の迫力ある勇姿をプロカメラマンに撮影してもらいましたので,お届けします。先人たちの労苦に思いを驰せながら,厂尝大树での旅はいかがでしょうか。
(东部営业所 山本圭一)

鬼怒川桥梁を渡る「厂尝大树」

雪の中を行く「厂尝大树」
日光ブランドを観光のヒントに
日光といえば远足で访れ,日光东照宫,华厳の滝,中禅寺湖が思い出として残っているという人も多いと思います。私も栃木地区担当になるまでは同じでしたが,この地のことを深く知ると,自然や歴史,文化,风习,食など多くの魅力があることに気づかされました。日光市では,こうした「もの」や「こと」を日光ブランドとして认定し,全国に発信しています。これからの季节は,5月17,18日の日光东照宫例大祭がおすすめです。「神事流鏑马(やぶさめ)」や神舆渡御祭「百物揃千人武者行列」を见ることができます。近年は多くの外国人観光客も访れ,活况を呈しています。
当社と日光东照宫は25年前の社务所新筑工事からお付き合いが始まり,防灾设备工事や参拝案内所,武徳殿などの工事を担当させていただき,今年2月の节分祭には,田所関东支店长も豆まきに参加しました。
日光ブランドの认定数は,日光东照宫をはじめとする世界遗产「日光の社寺」やラムサール条约登録湿地「奥日光の湿原」など,100件を超えています。日光の魅力を味わう観光のヒントになると思いますので,是非,ホームページなどで调べてみてください。
(営业部(建筑担当) 伊藤智文)

2月の节分祭。豆をまく田所関东支店长
「きぬがわすじ」への旅
鬼怒川上流付近のことを当社では「きぬがわすじ」と,亲しみを込めて呼んでいます。それは,1950(昭和25)年に五十里(いかり)ダムの建设工事をはじめて以来,川俣ダム,川治ダムなど,多くの土木工事を鬼怒川の川筋で担ってきたからです。この契机となったのが,1947(昭和22)年,戦后まもない日本を袭ったカスリーン台风です。関东地方で1,100人の死者?行方不明者を出し,穏やかに関东平野を流れていた利根川?荒川を一変させ,戦后最大の水害をもたらしました。当时,小欧视频组は利根川大决壊の紧急缔切工事の特命を受け,総动员体制で完成させています。そして,この台风被害により新たな治水事业を推し进めることになり,当社は紧急対応で得た信頼から鬼怒川上流部で多くの工事を担当したそうです。近年では,汤西川ダム(2012年竣工)も当社施工です。
今回,名前を挙げた4つのダムも「鬼怒川上流ダム群(4つのダムとダム湖)」として,日光ブランドに认定され,観光スポットとしても注目されています。最近ブームとなっているダムカード。4つのダムを巡れば,特製ダムカードホルダーをもらうことができます。
昨年,カスリーン台风から70年となりました。治水や利水の大切さを肌で感じながら,春の日光?鬼怒川の旅を満喫してください。
ちなみに,五十里ダムは,江戸の日本桥から五十里(约200办尘)の距离に位置することから,この名が付けられました。
(管理部现业グループ(栃木地区) 武泽翔太)

1960(昭和35)年顷,川俣出张所にあった安全塔

特製ダムカードホルダー

ダムカード





