女川湾から昇る初日の出を见にプロムナードには多くの人が访れた
photo: 女川町提供
2011年3月11日,叁陆冲を震源とする「东北地方太平洋冲地震」が発生した。
本震とそれに伴う津波や余震により,东北から関东にかけての东日本一帯に甚大な被害をもたらした。
东日本大震灾から10年,復兴?创生期间を経て新たなステージを迎えるにあたり,
本誌では2ヵ月にわたって震灾に対する当社の取组みと东北のこれからについて特集する。
今月はこれまで当社が担ってきた復旧?復兴工事の数々を振り返る。
东日本広域で甚大な被害
2011年3月11日14时46分,宫城県牡鹿半岛冲130办尘付近の深さ约24办尘を震源とする东北地方太平洋冲地震が発生した。
マグニチュードは9.0を记録,1900年以降世界で4番目に大きな规模の地震となった。宫城県栗原市で最大震度7を记録したほか,东北地方の広い地域や関东地方の北部では震度6强から6弱,东京都を含む首都圏地域でも震度5强から5弱の揺れに见舞われた。
この地震により大规模な津波が発生し,とくに大きな被害を受けたのは,岩手県?宫城県?福岛県で,のちに被灾3県と呼ばれることになった。津波を受けた各地域では,家屋をはじめあらゆるものが流され,多くの人命が失われた。
また,福岛県双叶郡にある东京电力福岛第一原子力発电所では,地震によって外部电源を丧失。その后袭来した津波により非常用电源も水没して全电源を失った结果,6基ある原子炉のうち3基がメルトダウンを起こし,大量の放射性物质が放出されるという未曽有の事态となり,多くの住民が避难を余仪なくされた。
この地震がもたらした大规模な灾害について,政府は発灾から3週间后の4月1日に「东日本大震灾」と命名した。
発灾から10年の节目を迎えて
政府は,発灾から10年间を「復兴期间」と位置づけ,そのうち前期5年间を「集中復兴期间」,后期5年间を「復兴?创生期间」として復兴の取组みを推进してきた。また,来年度からもその理念を継承し,「第2期復兴?创生期间」としてさらに復兴を进める新たな仕组みや方针を定めている。
この未曽有の灾害により被灾した地域の復旧?復兴に向け,当社は発灾直后から全力でその対応に取り组んできた。そこには,长年蓄积してきたノウハウや経験,技术と人材を组み合わせた総合力が活かされている。本特集では,発灾から10年という节目を迎えるにあたり,「初动と応急復旧対応」「灾害廃弃物処理业务」「除染?中间贮蔵业务」「復旧?復兴事业」のそれぞれの厂颈迟别で,当社がどのように復旧?復兴の一翼を担ってきたのかを振り返る。
復兴の取组みを推进する新たなステージを迎え,当社はこれからも使命感を持って东北の発展に尽力していく。


