当社翱叠 梅野哲男

首都高速1号羽田线の沉埋函沉设(昭和38年8月29日) 毎日新闻社提供
1963(昭和38)年,オリンピックを1年后に控えた东京では,竞技场建设やインフラ整备が急ピッチで进み,国中が活気に溢れていました。20代后半だった私は,羽田空港へのアクセスとなる首都高速1号羽田线と东京モノレール(当时は,日立アルウェーグモノレールと呼ばれていました)の関连工事に工事係として携わっていました。
空港入口の海老取川横断では,首都高速と并进するモノレール共に,当时としては画期的な沉埋工法によるトンネル构筑が行われました。

现场事务所が空港に隣接した埋立地内にあったために,访ねて来る人たちが,时折间违って空港の立ち入り禁止区域に入ってしまうので,この様なほぼ等身大の案内看板を作成し,一般道からの入口に立てたところ,良く目立って间违える人がなくなり好评でした。
今,振り返れば,総てが突贯工事でした。オリンピック开幕までに良く间に合ったものだと思います。そして,焼け野原から甦った东京で,世界中に日本人の底力を见せる时だと,皆が意気込んでいたことも忘れられません。
现役时代,「仕事は厳しいもの,されど楽しくやるべきもの」と常に言って来ました。仕事は绵密な计画の上に成り立ちます。悩んで,悩んで,歯を食いしばってやったとしても,夸りと自信を持って前向きにやっていれば,达成した时の満足感で総ての苦労は报われる筈です。2020年に向って,顽张って下さい。




