
マチュピチュ全景。なかほどの草が生えている明るい緑の部分が中心の広场。
広场を挟んで西侧(写真手前)には宗教施设が连なり,东侧(写真奥)には斜面に沿って大小の部屋からなる居住区が続く。正面奥の高い岩山は「若い峰」を意味するワイナピチュ山
アンデスの奇跡
数ある世界遗产のなかでも多くの人を惹きつけるマチュピチュ。エジプトのピラミッドや中国の万里の长城などと并ぶ知名度を夸り,その写真を见ただけでも一生に一度は访れてみたいと思わせる空中都市である。私はこれまで多くの国々を访れ,仕事や调査のために,あるいは自らの好奇心や探究心のために,いろいろな都市や集落を见てきたので,新しいものに惊かされることは少なくなってしまった。しかし,写真ではよく知っているはずのマチュピチュの遗跡を见下ろす丘に立ったときの感动は,格别なものだった。
标高2,400尘以上の高地を覆うようにつくられたマチュピチュは,东西の段々畑につながり,深い谷底に沉んでいくような感覚に陥る。背后には大地から突き出たような岩山がそびえ,この「アンデスの奇跡」の素晴らしさはどのような言叶でも表现しきれない。

谜の多い成り立ち
マチュピチュは,米国人探検家のハイラム?ビンガムが1911年に発见したといわれているが,それはあくまでも西洋社会からの物言いで,実际には付近の人々はこの遗跡の存在を知っていたとされる。カンボジアのアンコールワットも同様である。
この都市がつくられた理由は,侵攻したスペイン人に追われたインカ族が身を隠すためというのが长らく通説だった。确かに,ふもとを流れるウルバンバ川からこの都市の存在をうかがい知ることはできない。
遗跡の面积は13办尘2にすぎず,その住居跡から推定される人口は最大で500?1,000人程度といわれている。かつては5,000~10,000人などという説もあったが,现実的には考えられない。16世纪のスペインの公文书には,最后のインカ族は盆地の隠れ家で降伏したとの记述があり,それはマチュピチュのような高地ではなかった。

マチュピチュの建物のなかで唯一,曲线状に石が积まれた太阳の神殿
太阳の动きを测るための神殿
ではなぜ,このような都市がつくられたのか。近年の有力な説としては,太阳の动きを测るための神殿として築かれたと考えられている。実際にここは岩があるのは北側で,東西とも切り立った崖上になっているため,太陽の光は遮られることなく,観測にふさわしい場所である。
この説を受けると,マチュピチュの成り立ちを説明しやすい。中央には南北に走る広场があり,西侧は高台になっていて,いくつもの宗教施设が并ぶ。坂道と阶段を上ったいちばん高いところには,巨石を削ってつくられた日时计がある。また,「太阳の神殿」と呼ばれる建物は,マチュピチュのなかで壁面が唯一,曲线で构成されていて,壁には冬至と夏至にまっすぐ光が差し込む位置に,2つの小窓が穿たれている。

巨石でつくられた日时计
西侧の宗教施设群にはほとんど生活感がないが,広场を挟んだ东侧には住居跡が集中していて,大小の部屋からなる遗构には,生活空间にふさわしいスケールが感じ取れる。各住居の扉と西侧の宗教施设群を结ぶための阶段状の通路が縦横に走っている。恐らくここに居住していたのは,神殿で行われるさまざまな行事や暦の作成などに携わった人たちや,この都市を建设し,守ってきた技术者たちなのだろう。

东侧斜面にある居住区。家々は阶段でつながっている。
以前は茅葺き屋根が载っていたとされる

阶段を上った小高い丘の上にあるのは日时计。
右手に茅葺き屋根が復元された小屋が见える
精巧な技术でつくられた建筑群
遗跡のなかにはアンデネスと呼ばれる段々畑が,作物の栽培に适した日当りのよい崖面に広がる。建物と同様に精巧な石组みで筑かれており,等高线のように规则的な段差が美しい。

日当たりのよい斜面に,规则的な段差を描く段々畑。奥の茅葺き屋根は復元された贮蔵库
建筑や段々畑に用いられた花岗岩は,マチュピチュのなかでも高台に当たる南西の丘で切り出されたことがわかっている。高台から低い场所へと石材を运ぶのは确かに合理的であり,より大きな状态で石材を移动させることができたのだろう。岩の割れ目や穴に木の棒を差し込み,そこに水を徐々に含ませていくことで,木が少しずつ膨张する力を利用して石材を削り出し,使い胜手のよい大きさや形に加工されたそうである。しかも,石组みをより强固にするために,花岗岩の大地から巨石を丸ごと削り出し,そのかたちに合わせるように石积みされた场所をそこかしこに见出すことができる。

南西の高台(写真の中央付近)に石切り场が见える

自然の大きな岩をそのまま削り出し,周囲に小さな石を积んでできた强固な石组み
1440年ごろに建设が着手され,1533年にスペイン人により征服されるまでマチュピチュでは人々の生活が営まれていた。以后,现代まで500年もの间,降水量の多いこの地で石组みが崩れた形跡はない。
インカ文明は文字をもたないため,この都市がどうして,どのようにつくられたのかを正确に知る术はないが,建物跡の精巧な石组みや,住居や施设の絶妙な配置,太阳光の取り入れ方などから,当时の人々の高い技术力と合理性,そして建设に多大な労力が费やされた営為を推し量ることができる。
これだけの都市をつくり出した动机も,スペイン人から身を隠すためというよりは,太阳神に対する宗教的な忠诚心であったとする方が理解しやすい。石を切り出し,运び,积み上げる优秀な职人や技术者は,各地から集められたに违いない。奇跡や谜と称されてきたこの空中都市は,実は厚い信仰心と高度な建设技术をもつ人々によって筑かれ,ここに彼らが确かに暮らしていたことを偲ばせてくれる。

石组みを駆使してつくられた门
ペルー共和国![]()
Republic of Peru
面积:约129万办尘2(日本の约3.4倍)
人口:约3,182万人(2017年10月推定値,ペルー统计情报庁)
首都:リマ
南米大陆の中西部に位置し,西侧は太平洋に面する。
16世纪までインカ帝国の中心地であった。
ペルー旅行の楽しみ
ペルーにはマチュピチュ以外にも多くの魅力的な観光スポットがある。それを特徴づけるのは,南米大陆を南北に贯く标高6,000尘を超えるアンデス山脉である。インカ帝国の都だったクスコ,アンデス高原の标高3,810尘のチチカカ湖,ナスカの地上絵など,せっかくペルーに行くならばこれらの场所はぜひ访ねてみたい。私は団体旅行を好まないが,ペルーは例外である。飞行机やバス,鉄道などによる移动が多く,ホテルの予约なども考えると,団体旅行をおすすめしたい。ほぼすべてのスポットを10日以内で効率良く回れるプランが多くある。

マチュピチュへの“入场口”
剃刀1枚入らないインカの石组み
クスコは石畳の道が続き,壁も石组み,文字通り石だらけの街である。四角い石を贴り合わせたもの,多角形のものなど,いろいろな形のものを见ることができる。インカの石组みの优秀さは,その间に剃刀1枚も入らないといわれているが,実际に试してみたくなるほど,ぴったりと精巧に组み上げられている。

インカの石组みが残るクスコの路地
古市彻雄(ふるいち?てつお)
建築家,都市計画家,元千葉工業大学教授。1948年生まれ。早稲田大学大学院修了後,丹下健三?都市?建築設計研究所に11年勤務。ナイジェリア新首都計画をはじめ,多くの海外作品や東京都庁舎を担当。1988年古市彻雄都市建築研究所設立後,公共建築を中心に設計活動を展開。2001~13年千葉工業大学教授を務め,ブータン,シリア調査などを行う。著書に『風?光?水?地?神のデザイン―世界の風土に叡知を求めて』(彰国社,2004年)『世界遺産の建築を見よう』(岩波ジュニア新書,2007年)ほか。





