7歳で始めてから28歳で一度现役を引退するまで、フィギュアスケートだけをしてきた。小さい顷は滑るのがただただ楽しくて、周囲に応援されながらこの道を进み、结果を出せてこられた。だがジュニアからシニアへと移ると、それまで顺调だった成绩が一転してスランプに陥った。 トリノ五轮の出场枠を决める2005年の世界选手権。18歳の僕は「世界の壁」にぶつかり、否応なしに初めて自分の「欲」と向かい合った。日本代表の一枠をつかみ、自分が絶対にオリンピックに行くと。それまでの「楽しい」の延长から、自分で明确な目标を掲げ、竞技の道を踏み出した。 それから、トリノ、バンクーバー、ソチと五轮の连続出场を果たし、世界のトップに居続けるんだという强い気持ちで10年间、突っ走った。 日々积み重ねる练习やトレーニングは、调子がいい日もあれば、当然悪い日もある。コツコツやるのが苦手な僕は、试合当日に最良の状态になるようにコンディションを上げていく。演技直前、ライバルや観客に囲まれた紧张感のなかで集中力を研ぎ澄ませると、奇跡的なことが起きる。体の感覚が鋭くなり、力が抜け、身体が柔らかくなる。そして、练习の时にはどんなに调子がよくても越えられなかったパフォーマンスができるのだ。 ただ、それを毎回出せるわけではないのが僕という人间だ。良いサプライズと悪いサプライズに向き合うのは面白くもあった。 ソチの后、28歳で引退を决めた际は、竞技の场に心身ともに疲弊していて、スケート靴も持たずに逃げるような気持ちでニューヨークへ留学した。スケートしかない人间というのがコンプレックスですらあった。 梦をもつ大势の人たちのなかで生活しながらある时感じたのは、「ああ、やっぱり僕ってスケートでできていたんだな」という実感。ひとつでも好きなことをやって、自信を持てるのは、なんて素晴らしいことなんだろうと気がついた。 それから4年后、现役に復帰した。谁かに胜つことよりも、纯粋に作品を表现する侧にもう一度立ちたいという思いが膨らんでいた。自分自身が一番はじめに魅せられたスケートの魅力を见つめ直し、取り戻すための现役復帰。新しくアイスダンスにも挑戦した。 フィギュアスケートという表现を「魅せる」。いま、プロデュースしているアイスショーの舞台には、若い世代の现役选手が出演する。竞技ではどうしてもテクニックによりがちだけれど、それ以外の「魅せる」表现を追求したくて、见せ场のジャンプはない。音楽と一体となったスケートの表现こそ観客に楽しんでもらいたいし、出演者には観客の反応を直に感じる楽しさを覚えて、粮にしてほしい。 そうして作品をつくる过程と、つくっている间の人のエネルギーが僕は好きなのだ。「魅せる」には终わりがない。チャレンジしながら、表现が生まれる场に関わり続けたいと思う。30碍础闯滨惭础202602たかはし?だいすけ?フィギュアスケーター2002年、世界ジュニア选手権で日本人男子初の优胜。2006年のトリノ冬季五轮(8位)に続き、2度目の五轮出场を果たした2010年バンクーバー冬季五轮で日本人男子初のメダルとなる铜メダル、同年の世界选手権で日本人男子初の金メダルを获得。2014年ソチ冬季五轮で6位入赏。同年10月に引退を発表。2018年、竞技への復帰を表明。同年12月の全日本选手権で2位となり、6年ぶりに表彰台に上がる。2020年から村元哉中をパートナーにアイスダンスに転向。2022年、全日本选手権にて优胜。2023年竞技より引退。现在、ソロ及びカップルショースケーターとして活动中。また、才気溢れるスケーターたちが职人技で魅せる氷上エンタテインメント「滑走屋」のプロデュースを手がける。惫辞濒.254